文房具好きは「職人の血」?
はじめまして、当ブログに、アクセスしてくれて、ありがとうございます。
これから、トピックの続く限り文房具について語りたいと思います。
すぐに終わらないように、がんばります。
いま、このブログを読んでくれているあなた。
あなたもきっと、文房具が好きなのですね、たぶん。いや、きっと!
ですから、文房具のどこがいいのか、なんて話しは
お互いの時間がムダになるので、スパッと省きましょう。
これで、いいのかなあ、ま、いいか。
僕がお話したいのは、仕事の道具としての文房具です。
「ファンシー」ではない、「雑貨」でもない、「実用」文具。
なぜ、そこにこだわるのかを、お話しします。
ちょっと、おつき合いください。
これから、トピックの続く限り文房具について語りたいと思います。
すぐに終わらないように、がんばります。
いま、このブログを読んでくれているあなた。
あなたもきっと、文房具が好きなのですね、たぶん。いや、きっと!
ですから、文房具のどこがいいのか、なんて話しは
お互いの時間がムダになるので、スパッと省きましょう。
これで、いいのかなあ、ま、いいか。
僕がお話したいのは、仕事の道具としての文房具です。
「ファンシー」ではない、「雑貨」でもない、「実用」文具。
なぜ、そこにこだわるのかを、お話しします。
ちょっと、おつき合いください。
昔は「○○屋の倅(せがれ)」と呼ばれる子供が、どの町にも居たものです。
トーフ屋の倅、タタミ屋の倅、板金屋の倅。
僕も、その倅というカテゴリーに、分類される一人でした。
鍛冶屋の倅(かじやのせがれ)というやつです。
ちょっと珍しい職業でしょ。
明治のはじめに創業して、僕が継いでいたら四代目でした。
三代目だった父は、今も元気ですが、鍛冶屋はもうやめています。
自宅と同じ敷地の中にある工場の中では、トンテンカン、トンテンカンと、
父や伯父さんたちを含む、数人の男たちが仕事をしていました。
ここが、小さい頃の僕の、遊び場でした。
子供が工場の中にいて、あぶなくないかですって。
多少、危険をふくんだなかにいたほうが、本当にあぶないところを、
さける智恵というものが育ってゆくのではないでしょうか。
大人たちも、愛情をもって、ここはあぶないよ、というシグナルを
出してくれていたような、気がします。
実は、運がよかっただけかもしれません。
太いハリガネでフェンシングの剣を作ったり、鉄クズで手裏剣を作ったり、
あと、鉄人28号の操縦機なんかも作りましたね。
父は、道具に対しての、神聖な思い入れはなかったようで
子供の僕にも、自由に使わせてくれました。
自分なりの用途に合わせて、自由に道具を選んで
工場の隅で、鉄を打ったり、曲げたりして遊んでいました。
鍛冶屋の道具は、無骨で重いものばかりでしたが、
長い時間をかけて、それそれのカタチにおさまっていったのでしょう。
理にかなったモノであることは、子供ごころにも、理解ができました。
「プロの道具」というものを、肌で感じることのできた体験でした。
冷たくて重い鉄の記憶は、僕にとって、懐かしくてあたたかい、至福の想い出なのです。
自分では、こういう体験が、「道具」に心をひかれる要因なのかなあと、思っているのです。
少々、こじつけ気味かもしれませんが。
鍛冶屋には鍛冶屋、大工には大工、料理人には料理人の、プロ職人の道具があります。
デスクワークや、事務職だって、仕事をして食べていくのだから、その道のプロですよね。
それなら「プロの道具としての文房具」という、概念を持っていたい。
と、まあ、これがだいたいの背景です。
話が、大げさになってしまうのは、文章力のなさと、笑ってください。
そんなたいそうなことでは、ありません。
楽しく読んでいただけたら、うれしいです。
では次回、第一回のトピックは「3穴バインダー」についてお話させていただきます。
おつき合いくださり、ありがとうございました。
このブログのトップページへ
トーフ屋の倅、タタミ屋の倅、板金屋の倅。
僕も、その倅というカテゴリーに、分類される一人でした。
鍛冶屋の倅(かじやのせがれ)というやつです。
ちょっと珍しい職業でしょ。
明治のはじめに創業して、僕が継いでいたら四代目でした。
三代目だった父は、今も元気ですが、鍛冶屋はもうやめています。
自宅と同じ敷地の中にある工場の中では、トンテンカン、トンテンカンと、
父や伯父さんたちを含む、数人の男たちが仕事をしていました。
ここが、小さい頃の僕の、遊び場でした。
子供が工場の中にいて、あぶなくないかですって。
多少、危険をふくんだなかにいたほうが、本当にあぶないところを、
さける智恵というものが育ってゆくのではないでしょうか。
大人たちも、愛情をもって、ここはあぶないよ、というシグナルを
出してくれていたような、気がします。
実は、運がよかっただけかもしれません。
太いハリガネでフェンシングの剣を作ったり、鉄クズで手裏剣を作ったり、
あと、鉄人28号の操縦機なんかも作りましたね。
父は、道具に対しての、神聖な思い入れはなかったようで
子供の僕にも、自由に使わせてくれました。
自分なりの用途に合わせて、自由に道具を選んで
工場の隅で、鉄を打ったり、曲げたりして遊んでいました。
鍛冶屋の道具は、無骨で重いものばかりでしたが、
長い時間をかけて、それそれのカタチにおさまっていったのでしょう。
理にかなったモノであることは、子供ごころにも、理解ができました。
「プロの道具」というものを、肌で感じることのできた体験でした。
冷たくて重い鉄の記憶は、僕にとって、懐かしくてあたたかい、至福の想い出なのです。
自分では、こういう体験が、「道具」に心をひかれる要因なのかなあと、思っているのです。
少々、こじつけ気味かもしれませんが。
鍛冶屋には鍛冶屋、大工には大工、料理人には料理人の、プロ職人の道具があります。
デスクワークや、事務職だって、仕事をして食べていくのだから、その道のプロですよね。
それなら「プロの道具としての文房具」という、概念を持っていたい。
と、まあ、これがだいたいの背景です。
話が、大げさになってしまうのは、文章力のなさと、笑ってください。
そんなたいそうなことでは、ありません。
楽しく読んでいただけたら、うれしいです。
では次回、第一回のトピックは「3穴バインダー」についてお話させていただきます。
おつき合いくださり、ありがとうございました。
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